2017.05.23
心はいったい身体の何処にあるのか?
古代から、心臓派と頭派に分かれてきました。
皆さんはどちら派でしょうか。 科学的には頭だろうけど、でも『真心』なんて言葉を聞くとそれがハートのマークの心臓にあるような気もしてきます。
アーユルヴェーダの古典テキストは、どれも心臓派です。 スシュルタ本集、チャラカ本集、アシュタンガ心集、アシュタンガ・サングラハ、どれもが、心はフリダヤムにある、と言います。
因みにこの『フリダヤム」と言うサンスクリット語ですが、日本人の仏教界で一番唱えられているであろう、般若心経の『心』は、この『フリダヤム』と言う言葉の翻訳です。
古典テキストでも英語に翻訳されると、フリダヤムは、”Heart”と翻訳され、勿論ハートにも心と言う意味もありますが、心臓と言う意味に普通は捉えられます。
ところが、サンスクリット語で『フリダヤム」と言う時、心臓と言う意味もありますが、むしろ「最も重要なところ』と言う意味がメインなのだそうです。
つまり、アーユルヴェーダの古典テキストが、「心はフリダヤムに在る』と言う時、それは『心は身体の中の最も重要なところに在る』、と言っていることになります。
そうなると俄然わからなくなってきます。 身体の中で最も重要なところは、心臓かも知れないし、頭かもしれない。
そこで現在のアーユルヴェーダの医師(ヴァィジャ)は、心の在る場所を頭と考える人が多いそうです。 頭が最も重要な身体の司令塔だから、と。
インド占星術のジョーティッシュでは、主に「月』が心を現すとされます。
満月は明るいですが、決して自分の光で明るい訳ではありません。 太陽の光を反映しているに過ぎません。 三日月を見上げる私たちが、三日月が自身で光っていると、思ってしまうのは大きな錯覚です。
同じように、私達の心もそれ自体が「明滅』している訳ではありません。
自分の心に何を映して光らせるか、その決定と責任は言うまでもなく、私たち一人一人にあります。 その決定の過程こそが、私たちの人生そのものです。
良いものを、最高のものを心に映し出す人生を送りたいものです。
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