2017.06.08
『昨日まで・人のことよと・思いしに・こんどおいらか・こいつたまらぬ』
この狂歌、いかにも一休さんが読みそうですが、その真偽はともかく、日本で癌の告知や余命宣告が当たり前になって、約20年がたったのだとか。
『余命3ヶ月』などと言った宣告は、時々耳にするフレーズとなっています。
先月は、ご依頼をいただき、インドでのアーユルヴェーダの研修会の企画を当番がさせていただき、その通訳を兼ねて実施してきました。
その一環で、アシュタ・ヴァイジャと呼ばれる医師の間に、患者さんの余命を知る技法があることを知りました。 この場合の余命とは、何も末期的な状況だけでないそうです。
そもそも、アシュタ・ヴァイジャの診察では、目で患者さんを観て判断する望診の比率が約7〜8割。 後の残りが、患者さんの訴える症状を聞いたり、こちらから質問する問診だそうです。 脈をみたりして体に触れる触診は、されない場合がほとんどです。 それほどまでに、望診の比重が高いことは、当番にとっては衝撃的でした。
ですから、そうやって患者さんを観た時に、余命もわかってしまうとしても、不思議でない気がしてきます。
しかし、この技法は、学校でアーユルヴェーダの医学を勉強する場で教えてくれることでもなく、古典のテキストにその技法が出ている訳でもないそうです。
一子相伝で伝えられることで、それ故に真摯に知識を極めようとする医師は、代々アーユルヴェーダ医の家系の医師に弟子入りしようとするのだとか。 弟子になれば、子供でなくてもその知識を伝授してもらえる可能性があるからだそうです。
この患者さんを観たときに、その人の余命がわかってしまう、という件は、以前にこちらのブログで書いたことがあります。
そうなると、余命がわかって診察するヴァイジャにとっては、治療とは何なのか?という疑問が湧きます。
その答えを直接聞くことは、今回出来ませんでした。 多分、それはその人の生活の質を高める為の治療、ということになるのではないでしょうか。
誰にでも寿命があり、それまでの生を精一杯まっとうする訳ですが、身体のどこかに痛みが常にあったり、眠れなかったり、便秘だったりする生活は避けたいものです。 アーユルヴェーダの知識は、自然な方法で、確実に生活の質を高めるのに役立つことでしょう。