2018.03.04
『グワオーグワオー〜〜〜』凄まじい音で我に帰ると、そこにはムスリム(イスラム教徒)の叔父さんが高いびきで寝っこけていたのでした。
南インドからの帰国の途、乗継の飛行機の出発が5時間も遅れ、スリランカの空港で7時間の乗継時間となってしまい、空港の中のメディテーション・ルームなるところで、静かに静坐の時間を過ごしていたのでした。
アジアや欧州の主要な空港の中には、どこでもメディテーション・ルームというのが設けられています。 誰がそこでお祈りをしても、瞑想しても良いのですが、主にイスラム教徒の人を念頭に用意されていることは明白です。 なぜなら、部屋の天井を見ると『メッカの方向はこちら』という矢印が書いてあるからです。
実際中に入ってみると、メッカの方向にお祈り用の絨毯がひかれてあることがよくあります。 こちらはお構いなく自分の瞑想に使わせてもらっていますが、乗り継ぎが長い場合は、イスラムの人が仮眠場のように使ってしまい、冒頭のようないびきを聞かされる羽目になります。
一日5回のお祈りの義務があるムスリムの人にとって、その時間がきたらメッカの方向にお祈りの時間をもつわけですから、それが飛行場であってもそうしたい、という強い希望があることは想像に難くありません。 目撃したことはありませんが、熱心なイスラム教徒は、飛行中の飛行機の中でも時間がくると通路に絨毯を敷いてお祈りする人がいるよ、と聞かされたことがあるくらいです。
以前にマレーシアのペナン島に滞在していた際に街の中を歩いていると、男の人達が早足やバイクに乗って近くの建物に吸い寄せられるように入って行くのでした。 好奇心にひかれてそのままついて行くとそこはモスクであり、イスラム教徒の礼拝の時間の始まりでした。 明らかに”異教徒”の乱入でしたが、見よう見まねで水道で手などを洗い、モスクの中に入って一番後ろで礼拝に加わりました。
繰り返される4つの礼拝のポーズに意味もわからずに従っていると、周囲の人達の祈りの真剣さがこちらにも伝わってきます。
礼拝が終わり、これがイスラムの礼拝なのか、と座り込んでいると、見知らぬ叔父さんがイスラム教の教えを簡単に書いた小冊子を渡してくれたのでした。 それが初めてのイスラムの人の信仰心との出会いでした。
そして空港で我に帰ると、あのいびきです。 安眠妨害ならぬ瞑想妨害はそれだけではありませんでした。 他のムスリムの人がメディテーション・ルームで会話を始めてしまっているのでした。 ここはかりにもメディテーション・ルームですよ!とつっこみたいところですが、ムスリムの方に物申す雰囲気がそこにはありません。
それはインドネシア人のムスリムの人に、見るからにアラブ系の人が話しかけることから始まっている会話でした。 二人の共通語は英語しかないので、その会話が聞こえてきます。
『おたくの国の人はイスラムの信仰にどう向き合っているんだ?』などと直球の質問をアラブ系の人が投げかけることから、会話が始まっていきました。
おたくの国の子供達がきちんとイスラムの教えを守っていってるのか、という話題に移っていき、近代化の中で純粋な教えを守ることが難しくなっている、といった会話を必死でやっている感じでした。 同じイスラム教徒でも、ルックスも人種も全く違う人同士。 共通な点は、お互いにイスラム教徒という一点だけなので、共通の話題も当然それにまつわることになっていたのでした。
子供達にどういう価値観を学ばせるか、古くて新しい課題です。 それで思い出すのが、5000円札の肖像にもなった新渡戸稲造の書いた『武士道』(1900年刊)です。 新渡戸が米国に住んでいた頃に友人と話していた際に、『この国ではキリスト教の教えで子供達を育てるが、あなたのお国(日本)では何を規範にして子供達を育てるのだ?』と聞かれ、その場で答えられなかったものを、後年、著書の形で答えを書いたものでした。 日本人向けに書いたものではないので、いきなり英文で書かれ、米国で出版されました。
父が盛岡藩の勘定奉行で、母も武士の娘であったことから、特に母に武士道精神で幼少の頃から教え込まれた内容をベースに書かれたものでした。 西洋の騎士道と比較してあったり、西洋の人にもその喩えがすんなりと理解できる内容でした。 日露戦争後のロシアとの講和交渉は、米国の仲介で米国で行われました。 その時仲介したルーズベルト大統領にお土産としてこの『武士道』が渡され、大統領は一晩で読んで感銘し、数十部を注文して、政権幹部に配ったと言われています。
アジア人が初めて西洋人に戦争で勝った、という日露戦争での日本の勝利(1905年、明治38年)により、『日本人って何者?』という西欧からの好奇心に答える内容だったこともあり、世界的なベストセラーになっていったそうです。
ここで面白いのは、新渡戸稲造は日本人の心の基準を神道ともせず、仏教ともしていない点です。 宗教はパスされているのでした。
インドのビザを取るための申請書の中に『あなたの宗教は何ですか?』という欄があり、多くの方からこれには何と回答したらいいですか?と聞かれました。 日本人の多くの方の実感として『私、宗教も信仰もないです』という人が少数派でないのだろうと思います。 家に神棚あるし、仏壇もあるけど、自分が仏教徒だという認識はない人が多い訳です。 家に仏壇があるのでしたら、仏教徒に印をつけてください、と申し上げています。
しかし、これは世界的にみると稀なことで、そもそも宗教を持たない人なんているんですか、というのが一般的な反応です。 米国で生活していた頃に親しくなった人たちからは、暫くすると宗教を聞かれます。 特にないです、と答えると、『えっ無神論者なんだ』と言った反応をされ、『いえいえ大いなる存在は信じていますよ』と言うと、『それで宗教もってないの!?』と怪訝な顔をされました。
さかのぼって、自分の子供をどう言う規範で育てたのですか?と聞かれると、はなはだ心もとない。 二人の子供は、2年間スタイナー学校という勉学よりも身体を自然と馴染ませることに重きをおく小学校に2年間行かせた以外は、ずっと家庭で教育しました。 そう、小中高と行っていない。 友達が出来ないでしょう、と心配されたが、二人とも演劇とダンスをずっとやっていたので、その問題もなかった。 高校の卒業証書がないので、上の学校に行くのにも高卒同等学力試験、と言うのを受けなければならなかった。
今は二人とも社会人となって自立しているので、学校へ行かなくても何とかなることは証明できた。 しかし、親としてしっかりとした規範を植え付けられたか、となると本人たちに聞いてみるしかない。
メディテーション・ルームで会話をしていたムスリムの人たちは、コーランに書かれている内容に忠実にあるように教育していきたい、と語っていた。 当番が子供達に学んで欲しかった規範は、頭の中のおしゃべりを止めた時に湧いてくる自然が教えてくれる規範だった。 子供達にメディテーションの習慣をつけられたとしたら、親としては多少は責任を果たせたかな、と思っている。