2024.10.29
今日はアーユルヴェーダの神様と言われるダンヴァンタリの誕生日に当たります。
そのアーユルヴェーダ医療の医師はヴァイジャと呼ばれますが、そこにアシュタ・ヴァイジャと呼ばれる医師がいることを知ったのは、今から11年前の2013年にガンジス川とヤムナ川が合流するアラハバード(2018年にプラヤーグラージと町の名前が変更されました)にて行われていたクンバメーラの祭典の最中のことでした。
インド中からグルや修行者が集まり、各地からの巡礼者も含めて数百万人が約1ヶ月間にわたって、2つの川の合流点(これに想像のサラスワティ川を含めて3つの川の合流点)にて、自炊をしながら沐浴を続けます。
この期間中でもガンジス川によるカルマの浄化力が最もパワフルになると言われた2013年2月の新月の日には、なんと1日で3000万人もの人が、これらの川の合流地点にて沐浴しています!
当番も一緒に同行した現地の人たちに促され、訳のわからないままに、川幅1km以上はあろうかという真ん中まで船で漕ぎ出し、深いかと思いきや、なんと中洲のように足がつく場所に連れられて、教わった作法で沐浴したものでした。
さて、その祭典の最中にビートルズの師匠として知られるマハリシという方が、数年前にお亡くなりになって荼毘にふされた場所に記念館が建設され、開所式が行われていました。
その式典の主賓は、当時の北のシャンカラチャリヤで齢90歳のスワミ・スワルーパナンダ・サラスワティという方でした。 この方はグルデブの愛称で知られるシャンカラチャリヤ・ブラーマナンダ・サラスワティ師の直接のお弟子さんの一人でもありました。
因みにシャンカラチャリヤというのは、8世紀のヴェダンタ哲学の巨匠アディ・シャンカラがその教えを将来世代にまで絶えぬよう、インドの東西南北4ヶ所に設けた教えの殿堂の貫主の立場の人を指します。 北の殿堂の初代はアディ・シャンカラの4大弟子の一人で、ひたすら師匠への献身の念で啓発の光に出会ったトータカ・アチャリヤです。
日本では天台宗などで千日回峰行を達成した修行者を阿闍梨(あじゃり)と呼ぶそうですが、その呼び方は、『アチャリヤ』に当てられた漢字を日本の音読みしたものになります。
そんな大僧正の北のシャンカラチャリヤが主賓とあっては、到着されないことには、式典は始まりません。 我々は日の出の頃に沐浴した後、歩いて式典会場に9時過ぎには到着していました。 それから待つことしばし。 ところが、いつまでたっても主賓は登場なさいません。
そのうち、突然空が暗くなり大雨が降り出しました。 雨宿りするところもなく、ずぶ濡れになり寒さに震えながらひたすら待ちます。 12時も過ぎました。 周囲に食べ物屋などないので、120人ほどの参加者は朝から何も食べてない人がほとんどで、皆一様に空腹です。
それでもいつしか雨も止み、並べられた折りたたみの金属椅子に座っていると、前の列にいた米国からと思しき女性が、隣に座っているインドの人を周囲に『こちらがアシュタヴァイジャの何々さんです』と紹介している声が耳に入ってきたのでした。
ヴァイジャがアーユルヴェーダの医師のことであるくらいは知ってはいたものの、アシュタ・ヴァイジャって何だ? 聞いたことのない言葉ながら、なぜか耳に残りました。
そうこうしているうちに主賓のシャンカラチャリヤがついに到着されました! 時計の針は午後3時を回っていました。
放送局の中継車のようなマイクロバスからシャンカラチャリヤが降りられる直前には、演壇までの間にサッと赤い絨毯が敷き詰められます。 そしてお付きの弟子が広げる大きな傘の下をゆっくりと、歩いて来られ、厳かに主賓の挨拶が始まったのでした。
その当時、当番は南インドのハイデラバードという町にあるアーユルヴェーダクリニックに毎年通い、パンチャカルマなる施術を受けるようになって数年が経っていましたが、 意味不明のアシュタ・ヴァイジャなる言葉が頭の片隅に残っていました。
そんな折、そのクリニックで出会ったドイツ人の方から耳寄りな情報を得たのでした。 南インドのケララ州に凄いアーユルヴェーダの医師が2人いるよ、というものでした。
そこでそのうちのお一人の医師のクリニックに予約することがかない、翌年の2014年に診察を受け、3週間のトリートメントを受けることができました。 その医師は、ドクターナンビ(Ashtavaidya Alathiyoor Narayan Nambi)という方で、その時初めてアシュタヴァイジャでもあることを知ったのでした。
それがきっかけで、初めてアシュタヴァイジャなる伝統の何たるかの一端が垣間見えてきたのでした。
*アシュタヴァイジャの伝統:
アーユルヴェーダの医師は、ヴァイジャ(Vaidya)と呼ばれ、インドでは5年半の医学大学を卒業してBAMS(Bachelor of Ayurvedic Medicine and Surgery)という学位を取得することで、医師としての活動を許されています。
そのヴァイジャはインド国内で約18万人もいます。 これはインドの医師全体(ほとんどが西洋医)の2割強に当たります。
その中でもインド最南端でアラビア海に面したケララ州は、インドの中でも最もアーユルヴェーダが温存され、その伝統が色濃く残っている土地柄と言われています。
そのようなケララ州で今から270年ほど前に、マルタンダ・ヴァルマ(Marthanda Varma)というマハラジャ(封建時代の大名のような存在)が現れました。 彼の統治していたTravancoreという藩主国(江戸時代の藩のようなもの)には、18の地域がありました。
彼はアーユルヴェーダの4大テキストの一つである『アシュタンガ・リダヤム』(8分野・編纂本)をヤシの葉っぱに書き写したコピー本を19部作らせ、1部を手元に置き、残りの18部を各地域の住人の健康を守る役目を与えた18の家族に分け与えました。
その18家族こそが、アシュタ・ヴァイジャと呼ばれ、自分の担当地域の人々の健康を守る任務を代々担ってきました。 そのヤシの葉っぱを閉じた写本は、代々家宝として、日々その章句の暗喩が日課となっているそうです。
それから270年ほどが経ち、ケララ州に約25,000人いるアーユルヴェーダの医師の中で、現在ではアシュタヴァイジャ家は、最初の18家族が5家族に減ってしまいました。
受診させていただけたドクターナンビは、その5家族の一人だった訳です。 因みにアシュタヴァイジャ・ナンビはその翌年の2015年10月21日に鬼籍に入られました。
ドクター・ナンビの診察を受けた翌2015年には、ドイツ人が教えてくれたもう一人のドクタームースのところを尋ね、やはり3週間の施術を受けさせていただきました。
そうしたところ、そのドクター・ヴィヴェカラン・ムースもアシュタヴァイジャの5家族の一つであることがわかったのでした。
さらに、そのドクタームースに息子さんがいるのですが、その方こそ2年前にアラハバードの式典で当番の前の列に座って、『こちらがアシュタヴァイジャの誰それです』と紹介を受けていたドクター・レビ本人その人でした。
なお、ケララ州にはアシュタヴァイジャの家族が運営されているアーユルヴェーダ博物館があります。 これまでの数千年に及ぶアーユルヴェーダの歴史を俯瞰した15分の映画に始まり、古代からの施術の様子や、アシュタヴァイジャの伝統の一旦を簡潔に閲覧することができます。