2016.07.23
2016年7月17日、上野の国立西洋美術館がユネスコの世界文化遺産への登録が決まった。 さっそく、この美術館の入場に長蛇の列が出来始めたのだとか。
これは、スイス系フランス人建築家ル・コルビュジエの世界中に散らばる17の建造物が世界遺産に認定された一環というもの。 世界の建築家3大巨匠の一人と言われているそうだけれど、その三人のうちせいぜい名前を挙げられるのは、帝国ホテル旧館を設計したフランク・ロイド・ライトくらいでしょうか。
その17の建築は基本的に単独の建造物でありますが、一つだけ複数の建物からなる官庁街が含まれています。 それが今日話題にするインド北東部に位置するチャンディガールという町です。
普通のインド観光コースに組み込まれることもない町なので、知名度は低いはずです。
これまでの当番日記では旅に関して一度も書いてきませんでしたが、今回はその第1弾。
*コルビジェの町、チャンディガール
インドは約250年に渡ったイギリス統治からの独立を、第2次大戦終結から2年後の1947年に達成したのもつかの間、イスラム教徒が自分達の国としてパキスタンが分離独立していきました。
この混乱でヒンズー教徒、イスラム教徒、シーク教徒が入り乱れで先祖代々の土地を追われ、路頭に迷いました。 その数1,400万人とも言われ、人類の歴史の中で史上最大の規模の民族大移動となりました。
当番の長年の友人の家族は、シンディ族というヒンズー教徒でしたが、自分達の住んでいた場所がバキスタン領土内になってしまった為に、土地も家も全て捨てて逃げ出しています。 彼らは生活の糧を求めて世界中の観光地に行ってお土産屋さんを始めた人が多いそうです。 友達の父は戦後間もない神戸に来て、日本の化学繊維の貿易で家族を支えたそうです。 インドの人は長いこと木綿で作ったシャツを着ていましたが、洗濯するとシワになって縮んでくる弱点を、化学繊維のシャツが克服したとして、人気に火がついたそうです。
インド人のイメージとして我々が持つあのターバンを巻いた男性は、実はシーク教徒固有の習慣です。 そのシーク教徒が主に住んでいるのが、インドの穀倉地帯とも言われるこの北東部のパンジャブ地方です。 紀元前3000年前のハラッパ遺跡があったのもこのあたりです。
このパンジャブ地方の人達も、インドとパキスタンの新たな国境線が引かれるという、究極のどさくなの中で自分達の土地を奪われていました。
そこでインド側に逃げたシーク教徒の人達は、それまでの州の州都がパキスタン領土になってしまったので、新たに州都が必要でした。
それを千載一遇のチャンスと考えたのが、当時のネール首相です。 新たな都市を全くの白紙から自由にデザインできる。 そんなチャンスは滅多にあるものではありません。 だいたい世界中の都市で、最初にグランドデザインがあってそこから発展していくところは、そうそうあるものではありません。 なし崩し的に人口増加と共に、無秩序とも言える膨張を遂げるケースがほとんどでしょう。
東西南北がきっちり合わさり、碁盤の目のように作られた平安京、京都の奇跡は、まだ日本の国土に手つかずの平地がたくさんあった8世紀の出来事です。
それでは、そのインドの未来を象徴する都市計画を誰に任せるか。 ネール首相のご指名があったのが、このル・コルビュジエでした。
1952年に建設が始まったこの白紙からの都市計画、ル・コルビュジエは碁盤の目に道を張り巡らせました。
この町の見処はやはり今回世界遺産になった官庁街の建物群でしょう。 特に州議会場の建物に目をみはります。 日本を代表する建築家の伊東豊雄さんは、ル・コルビュジエの全作品のベスト1にこの建物をあげていたほどです。 ここは建物の中に入る難易度が高くて、ガードマンの詰所で見学申請の書類を書いて、それから案内人と回らなければならないのだとか。 ということで、今回は建物群の周囲を外から眺める徒歩行脚でした。
ところが、ところがです、この未来を象徴するはずの街が、悲しいかなその碁盤の目は東西南北に沿っていないどころか、ほぼ見事に45度ずれているのでした。 あ〜。
コルビジェもインドで、テトラバックのような三角形をしたサモサをほうばっているうちに、最初は東西南北に沿っていた図面を、エイやと45度傾けてしまったのでしょうか。
インドの僧侶階級出身のネルー首相が、東西南北をきっちり合わせていく、というインドの古代建築の基本中
の基本をご存知なかったはずはないのですが。。。
地球は地軸に沿って回るので、いわば真東に向かって回転し、そこで私たちは生活しています。 この事実は日常的には気づかないけれど、深いレベルで私たちの生活に影響を及ぼしています。 海岸線を走る列車の展望車両に窓際の椅子が、進行方向に45度ずらして設置されている車両は、長く乗っていたいとは思わないことでしょう。
さて、この町を訪ねられたらもう一箇所、コルビジェとは無関係ですが、ロックガーデンという野外博物館が外せませんね。 タージマハールに次ぐインドの観光地などと喧伝する向きもあるとか。
公務員だった一個人が1965年からコツコツと廃材を集めてきては、週末を利用して空き地になんともシュールなオブジェを勝手に次々に作っていき、8年後に世間に発見された時には15000坪にも及ぶ、一大野外ミュージアムになっていた、という代物です。 足を踏み込むとそこには迷宮が待っています。
勿論、違法であり、よくもこんな大きな土地に作っていたことが気づかれずに済んでいたものだと呆れます。 行政もたいしたもんで、違法ではあったもののこれはアトラクションになると思って、この公務員を正式にこのミュージアム造園の仕事につけ、50人ものスタッフをつけてどんどん作らせていったら、数年後には30000坪の野外ミュージアムが出来てしまった、というお話でした。
ところが、そのロックガーデンのお隣にグルサガール・サヒーブというシーク教の寺院があるのですが、周辺の道路が45度ずれている中で、こちらはなんと東西南北に合わせて敷地が囲まれ、建物もそれに方向を合わせて作られているのです。 お見事です!
建築での世界遺産となると、当然ながら建物そのものに注意が向きがちですが、道を歩き、建物の中で暮らす、という普段の生活が、自然に地球の地軸に合うように導いてくれるもの。 この町を歩いていると、反面教師として、それが建築の真の力であることと気づかせてくれます。