2016.08.10
最近、瞑想でご縁のあった男性の方が、小学生の頃にお父上が肋膜炎で長期入院された際に、天風会に入会された、というお話を伺いました。
そこで今回の当番日記は、中村天風先生に焦点を当ててみたいと思います。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、天風会というのは、主に大正時代から亡くなられる昭和42年まで、全国で講演された中村天風さんという方の始められたヨガの行法による心身統一を求める集まりでした。
当番がこの中村天風さんのことを知ったのは、ある一冊の本からでした。
遡ること30数年前、当時関わっていた会社の社長が『天風先生座談』なる本を配っていたことでした。 その社長は、毎朝4時に起きて2時間ほど読書をしてから出勤する方で、良いと思った本はまとめ買いして、取引先や、会社の支店、営業所などに配っておられました。
ある支店の本棚でその本を見つけ、なぜか惹かれるものを感じて、読ませてもらったのがきっかけでした。
それは、天風先生の講演をそのままテープ起こしし、その原稿を本としてまとめられたものでした。
それから一時期、多くの天風先生の講演録を読んだり、実際の肉声のテープを聴いたりしました。
なぜなら、いつもいつも、ただ読むだけ、ただ聴くだけで、良いエネルギーに満たされていくのを実感して、元気の湧く、それはそれは楽しい時間だったからです。
天風師30歳の時、当時致死性の極めて高かった奔馬性結核にかかります。 日本の当時の最高峰の医学をもってしても病状は悪化の一途をたどり、欧米の最先端の医学を求めて米国と欧州に渡ります。 しかし、そこでも治療はかなわず、死を覚悟するしかなくなり、桜の咲く日本で死のうと思って、失意のうちに欧州から日本行き貨物船に乗りこみます。 明治44年のことです。
途中の寄港地のエジプトに停泊中、生きる屍状態で船の食堂で食事をしていた際、同じ船に乗り合わせていたインドのヨガ聖者のカリヤッパ師から声をかけられ、言われるままにヒマラヤの最奥地である今のシッキム州の小さな村に連れて行かれます。 そこはカリヤッパ師のベースであり、ヨーガと瞑想の指導に『こんなことやって何になる!』、とのふてくされた疑問を持ちながらもそうやって日々を満たすしかない淡々とした生活を送っていました
滞在すること2年半。 遂に大いなる覚醒の体験がやってきたのでした。 この体験のくだりになると、講演でも、あの威風堂々とした天風先生が感極まって、毎回涙声になるところが圧巻です。
この魂の目覚めが、不治と思って一旦は諦めた体の病気さえも克服させてしまったのでした。
『目覚め』によって知り得ることは、知的な理解を積み上げるのとは全く別物です。
それは『体験』としか言いようがないものですが、それ以前と以降では全く違う世界が広がります。
身体は筋肉を使うことで鍛えられるかもしれませんが、心は真逆で使わないことで深められます。
瞑想は、その心を真空にする方法の一つです。